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機関誌「新・方法」第54号を配信しました

日本語版 http://7x7whitebell.net/new-method/bulletin/b054_j.html

英語版 http://7x7whitebell.net/new-method/bulletin/b054_e.html

機関誌「新・方法」第53号を配信しました

日本語版 http://7x7whitebell.net/new-method/bulletin/b053_j.html

英語版 http://7x7whitebell.net/new-method/bulletin/b053_e.html

写真の地平 Photo Horizon

展示

写真の地平 Photo Horizon

大塚 勉、半田晴子、平間貴大、小野寺南、古田直人、秦雅則
独自の手法や考え方で写真作品を作る作家によるグループ

展示予定 2016/11/30 ~ 12/11 (月曜休み)13:00 ~ 20:00

場所 HIGURE 17-15 cas 二階
東京都荒川区西日暮里3-17-15

http://hgrnews.exblog.jp/i8/

イベント予定
12/ 3(土) 17:00 ~ 20:00 レセプション 

12/10(土) 17:00 ~ 20:00 実験映画上映(大塚勉)&参加作家によるスライドショー 

同時開催 秦雅則 新作個展 「心臓」(HIGURE 17-15 cas1階)

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写真の地平 Photo Horizon

 写真技術が19世紀始めに出来てから、そろそろ200年、印象派の誕生など写真技術により人間の認識も変化してきました。
生まれた頃からデジタルカメラで写真を撮られている人が多くなり、フィルム写真という古典技法は説明が必要な時代になりました。
カメラの能力は飛躍的に向上して、現代の天体望遠鏡は宇宙が出来た当時の世界を見せてくれます。 人間が行く事が出来ない世界を、ロケットに乗った人工知能が写して、世界中の人が見る事が出来ます。

 私たちが見る事が出来ない写真の地平の向こう側にも、写真はあるのでしょうか?
 地平の向こう側の写真はどのようなものでしょうか?
 私たちはそれを写真と思えるのでしょうか?

写真の技法や表現は、個人の身体感覚や世界認識をみせてくれるかもしれません。
写真表現の多様性や限界を探り続ける作家達の、独自の考えや様々な手法による写真グループ展を是非ご覧下さい。

展示企画 長沼宏昌 NAGANUMA Hiromasa(写真家)

第3回全感覚派美術展 -ともだち感覚-

展示

会期:2016年10月14日(金)-16日(日)、21日(金)-23日(日)
   金 18時-20時  土・日  13時-19時
会場:space dike
111-0021 東京都台東区日本堤2-18-4
東京メトロ日比谷線 三ノ輪駅3番出口 徒歩5分
http://spacedike.blogspot.jp/   https://twitter.com/spacedike/
入場料:300円
※会期中、自由お絵描きスペースあり
■イベント
お絵描き・ライブ・トーク
2016年10月16日(日)  14時-17時(予定)
参加料:800円(展示入場料込み)+1ドリンクオーダー(300円または400円)
お絵描き:14:00(適当に始めてます)
ライブ:14:45- 平間貴大+Taxxaka
トーク:15:30- 参加作家(一部)、司会(交渉中)
※10/16、14時-17時、展示のみの入場はできませんのでご注意ください。
■関連出版 冊子 全感覚7 ともだち感覚

機関誌「新・方法」第52号を配信しました

日本語版 http://7x7whitebell.net/new-method/bulletin/b052_j.html

英語版 http://7x7whitebell.net/new-method/bulletin/b052_e.html

92日マラソンを振り返って

92日マラソン

 92日間の作品制作マラソンを終え、最後にこの文章を書くことで挨拶に代えさせていただく。ここで哲学者か科学者か芸術家か誰でも良いが読者にとって有益な引用をして、あたかもこれから語ることを代表させようとも思ったが、そもそも有益なことはしたくないので止めておく。

 92日マラソンが終わった。

 92日間の間で42km余のコースを競争する、又は92日間毎日42kmのコースを競争するわけではなく、92日間立て続けに作品を制作し公開していく催しだった。

 紀元前450年、アテナイの名将はマラトン(Marathon)に上陸したペルシャの大軍を撃退しその勝利をアテナイ元老に伝えるためにある兵士が選ばれた。兵士は約40kmの距離を駆け抜け、アテナイの郊外で「我勝てり」と告げた後に力尽きて息を引き取ったそうだ。1896年第一回目のオリンピック開催時にフランスの言語学者が故事より引用して今日におけるマラソンは陸上競技として始まった。場所はマラトンでもなくとも良いし、走者は皆各々の約42kmをシュミレーションしているとも考えられた。

 92日というのは2016年10月から12月31日までの日数であり、これを距離とした。

 当マラソンでは日数が距離の役割を果たした。タイムが競われない分、時間の感覚は限定された期間の方へ移行した。半仮想状態の中で運動を継続させる催しだった。

 走者の姿は公道で見る事が出来るように、私たちは日々現在地点と走行ペースに合わせて作品を発信した。その様子はTwitterTumblrで確認できる。

 実験は多くの失敗があってこそやる意味がある。しかし最初から失敗と思っていたらそれは実験ではない。いわゆる「捨て」にいっているようなものは作りたくなかった。毎日シリーズ物を作ることは現実的ではなかったが、私にとってはそれも含めてとにかくやるという企画になった。

 適切な入力があり、それをうまく消化して出力もバランス良く行けば良い作品ができるだろう。今回のチャレンジはそれがアンバランスのまま走り続けることとなった。それでできた作品は現時点、自分では何の判断もつかない。落ち着いて振り返るには時間が掛かりそうだ。

九二日マラソンのフライングについて

92日マラソン

 会期は明日から始まるが、前日の今日、さっそく作品を一つ制作しアップロードすることにした。ルールは破られなければいけない。マラソンならば、フライングから始めたい。ということでスタートの銃声が聞こえる前に、私は身の内の声に駆り出されれ走りだしてしまった。

 はじめからルールを破ることで、今後の信頼も失ってしまったかもしれない。それについていえば、そもそも所属している(とも思っていないのだが)グループ新・方法では"無作品″という、タイトルだけ作ってあとは何も作らないというようなものも発表している私に、九二日間連続で作品を制作しろとは何事だろうか。九二日間連続で作品を制作した後の事を思うと、それまでの事を思い出して感動の涙がちょちょぎれそうである。

 九二日間も連続で何かを制作する。風を切り身体を躍動させるマラソンに比して、制作者をどれだけ長く制作現場に固定し、神経をしびれさせることだろうか。もはやマラソンは関係無いだろう。本当にどこかを走ることでしかマラソンと関係付けられる気がしない。しかし走る気も無いし、あまつさえ私は何も作る気がしないのだ。

 九二日間という日数が距離だとするならば、何も作らなくても走り切ることができる。できることなら何もやりたくないが、その通り何もやらなくても時間は過ぎるし、無理やり何かを否定して制作をしなくても自動的に走り切ることはできる。非破壊、非創造の日々を遊び半分でやり過ごすことは、無数にありうる方法の一片でしかない。ならば、誰よりも早く、速く、疾く、駈け出そう。型破りをしようにも、型さえ決まっていない中、いち早くたすきを負って駈け出した私は、型そのものを作り出してしまったのだろうか。どうはみ出すべきなのかは未知数である。秋風が追い立てた熱気を追うかのように、空を切って走り始めた。