NHK映像ファイル「あの人に会いたい」-安部公房(Abe Kobo)

安部公房:僕にとっての関心というのはやっぱり、今を見るっていう事。しかしをれは僕のこのメビウスの輪ですよ。それを箱とかあの壁とか砂というものに投影する。いい投影体を探す事ですよね。

  • 砂の女」や「壁」など、数々の前衛的な作品で、現代文学の世界的トップランナーといわれた作家、安部公房。その作品は世界30数カ国で翻訳されていると言われています。生前、日本で一番近いノーベル賞作家とも言われました。安部公房は1924年、大正13年に東京で生まれ、一才で満州に渡りました。父は満州医大の医師で、安部は16才まで奉天で育ちました。戦後引き上げを経て、東大医学部在学中から小説を書き始め、27才の時、「壁ーS・カルマ氏の犯罪」で芥川賞を受賞しました。38才で書いた代表作、「砂の女」は、現代人の孤独を追求した傑作です。社会が複雑化する中、安部は。「燃えつきた地図」で迷路の様な大都会で次第に自分を見失う不安を描き出しました。80年代、核に覆われた地球からの脱出を「方舟さくら丸」に描きました。奇妙な登場人物が事件の連鎖を引き起こすストーリーは、現代文学の金字塔を打ち立てました。

1985年(昭和60年)60才の時
あ:僕はね実はね、テーマを考えながら書くんじゃないんですよ。みんなそう思うらしくてね、テーマはテーマとはいうんだけれどもテーマというのは後でね、作中人物と僕がね、共同で考え出すんだよテーマっていうのは。だから作中人物がテーマを思いつくまでね、僕は待たなきゃいけないわけね。視点を変えるとね、わかりきったものが迷路に変わるだけですよ。例えば僕昔なんかに書いた事があるんだけれども、犬ね。犬っていうのは目線が低いでしょ、匂いは訊くでしょ、だからにおいでもって、においの濃淡で記憶や何か全部形成してるわけでしょ。だから犬の感覚で地図を仮に作ったら、これはすごく変な地図になるでしょう。体験レベルで持ってちょっと視点を変えればわれわれがどこに置かれているかという認識がぱっとかわっちゃいますよね。でその認識を変える事でね、もっと深くこの状況をさ、見るということ。だから結局僕はね、あの文学作品というのはひとつのもの、生きているものというか世界、極端にいえば世界ですね、小さいなりに生きている世界というものを作ってそれを提供すると。そういう作業だと思ってますけどね。だからお説教や論ずるということは小説においてはあんまり必要ないと思いますね。いわゆる人生の教訓をかくなんていうことはね、論文とかね、エッセイに任せればいいことであって、小説っていうのはそれ以前の意味にまだ到達しない、ある実態を提供すると、そこで読者はそれを体験すると。ていうもんじゃないかと思うんだよ。
斎藤季夫:それを割合私なんか意味をよんでしまう、と、やはり迷路に入るということ、、、
あ:いや迷路でいいんです。迷路というふうに自分が体験すれば迷路なんです。それでいいんです。終局的に意味に到達するってことはちょっと間違いですね。これは日本のやっぱり国語教育の欠陥だと思う。ぼくのも何故か教科書に出てるんですよ。で見てったら「大意を述べよ」と書いてある。あれぼくだって答えられませんね。一言で大意が述べられるくらいなら書かないですよ。あのそれこそ最初からぼくは大意を書いちゃいます。「人生というものは赤い色をしていて、中にちょっと緑が入っている」例えばそれが大意だとしますね。そういうふうに書いちゃいますよ最初から。よくね、まあるよほら温泉なんかの案内図っていうんですか、山かいて道書いてロバがいて花が咲いて何かあるじゃない、ああゆうもんだよね。もともとの小説がそういうもんならね、そりゃいいでしょ解説で。だけどね、あの実際の地図というものはね、そんな簡単にちょっと見てもわかりませんけど見れば見る程際限なく読み尽くせるでしょ、一番いいのはまあ航空写真とかそういうものでしょうね、無限の情報が含まれている。その無限の情報が含まれていないと僕は作品と言えないと思いますよ。無限の情報ですよ人間なんて考えてみたら。そういうふうに人間を見るという事ね。みなきゃいけないし見えるんだよという事を作者は書かなきゃいけない、読者に伝えなきゃ行けない。

  • 安部は21才の時満州で終戦を迎えました。満州の記憶とその後の引き上げ体験は、後に安部文学のモチーフとなりました。満州の小学校時代、安部は複数の民族が共存する理想国家を目指そうという教育を受けました。しかし、現実とのギャップに違和感をおぼえました。

あ:ぼくらは子供のときからね、五族協和という教育を受けているんですよ満州では。でその五族というのはなんかよくわかりませんけど日本人、朝鮮人、中国人、ロシア人、蒙古人でしょうね、そういうのがなんか平等であるっていう事を建前として教えられるわけですよ。で子供だから信じるわけ、クラスのなかにはやっぱりそういう異民族もいましたしね、ところが汽車かなんか乗るでしょ、そうすると日本人の大人が中国人がすわってると蹴っ飛ばして席どかして座るでしょ、そういうのを見てやっぱり頭きてたよね、五族協和に反すると思ってさ。だから結局ね子供の時にえらく素直に五族協和っていうのを信じたっていう事がね、いろんな疑惑を逆に生むという結果にはなったとおもいますよ。それからやっぱり、なんでこんなに生活の差があるのか、あるべき姿ではないと、これは。
さ:そこえ敗戦という事が生じたわけですね。
あ:まあそうですね、ぼくも家っていったら満州だったわけですよ。それがなくなるわけでしょ、だから敗戦というものは観念じゃなくて、そんな愛国心が裏切られたとかじゃなくて、事実もそう、場所を全部失ったということは、ね、あたまじゃなくて体で感じていたとおもいますね。でもそれがそんなにつらくなかったね。人間ってしょせん、いつでも何かを失って行くほうが幸せだと思った。満州で育ったっていうことはね、非常に都市的な生活をしてきたということなんです。子供のときから。そして周囲に農村がないということですよ。農村は全部中国人ですから。だからね、満州で育った人間の一つの特徴は、非常に都市的な人間に生まれたときから作られてしまったということがあるんじゃない。それだからやっぱり農村と都市との問題については非常に敏感にぼくの問題になったということは言えるでしょう。
さ:それはずうっとその後も、、
あ:そうですね、いろんな発想の一つのバネにはなったと思うね。
さ:自分と他との関係、、
あ:ですね、自分とっていうか他者というのは何かという事ですね。それでその他者との通路を回復しない限りやっぱり人間の関係というものは、本当のものはできないんだ、という事で、だから僕の小説のある意味で一貫したテーマはやっぱり、人間の関係とは何か、他者とはなにか、でその他者との通路の回復はありうるのかという、こういうところが一貫したテーマの一つになっている。

  • 安部が68才で亡くなった時、未完の小説「飛ぶ男」のフロッピーディスクが書斎に残っていました。未来を先取りした安部公房の作品は無限の読み方があり、無限の想像をかき立てます。

あ:文学作品は一つの生きている世界を作ってそれを提供すると。その無限の情報が含まれていないと僕は作品とは呼べないと思いますよ。