ローレンスクラウスは「物理の超発想」で、物理学は三つのディメンション(長さ、時間、質量)は原理的には互いに独立なのであるが、例えば長さと時間とを結びつける普遍定数があったとすれば、この定数を長さに掛けることによって、長さを時間で表すことができる。それを明らかにしてくれたのがアインシュタインだった。相対性理論の土台になっているのは「高速(cで表す)は普遍定数である(誰が測っても同じ値になる)」という原理である。速度は「長さ/時間」のディメンションを持つので、時間に"c"を掛けてやれば長さのディメンションをもつもの、すなわちその時間内に光が進む距離が得られる。つまりすべての長さは、光がその長さを進むのにかかる時間によって表すことができるのだ。肩からひじまでの長さは10の-9乗秒と表せる。光の速度という普遍定数が存在するために、あらゆる長さと時間のあいだには一対一の対応関係が生まれる。と言っていて、この後に"h"で表され、質量(またはエネルギー)と長さ(または時間)とを結びつけるプランク定数を使い次元を一つにして行く過程を説明していて、素晴らしいいいいいい!!!!!!と思いつつ、音楽でも似たような事があって、片山杜秀『クラシック迷宮図書館』では
シュトックハウゼン電子音楽スタジオでの多年の経験から、ついに次のような事実を把握した。パルスすなわち瞬間的な打撃音は、一秒あたり十六拍ていどまではリズムとして知覚できる。しかし、それを超えると、もはやパルスの間隔は知覚不能となり、音はダンゴ状になって、こんどは低い音高として聴こえだす。この後、パルスの拍数を上げてゆけば、音高は上がってゆき、約四千拍までのあいだに七オクターヴ半が収まってしまう。また、もとのパルスのリズム・パターンを変化させれば、音色もコントロールできる。
 ならば、けっきょく、音楽の構成要素としておのおの分離して考えられてきた、音高、音色、音価、強度、リズムといったものは、すべてパルスの振動のあらわれ方の違いとして、一元的に理解できるではないか。ここに、シュトックハウゼンの〈新しい音楽〉にたいする思考は、大きく飛躍する。多様な音要素を極端にバラバラに扱う考え方は、以降、後景に退いてゆく。
 かわって音楽は、パルスというひとつの相の、千変万化な現れとしてとらえられる。汎パルス論とでもいえばよかろうか。どんな音もパルスの振動なのであり、パルスこそ音の根源なのである。作曲家はパルスをコントロールし、音楽を一元的に把握することで真にユニヴァーサルな世界に到達できるだろう。

という事で、簡単にいうと単純化することで新しい発見がさらに生まれるよねって事なんだけど、どちらも素晴らしいなぁ。
 吹き替え版がアップされてる!
モンティ・パイソン/今夜のボクシング(日本語吹替)