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「新・方法」第9号

寄稿と作品からなるEメール機関誌「新・方法」第9号をお届けします。寄稿者は、朝日新聞「短歌時評」を3月まで連載されていた歌人の田中槐さんです。
[寄稿]

ゲンミツる
田中槐(歌人

たとえばわたしが馬場省吾を面白いと思うのは、「なぜ芸術ではないのか」シリーズだ。そのなかでも、「床に水をまくことはなぜ芸術ではないのか」「三角コーンを逆さに立てることはなぜ芸術ではないのか」あたりは秀逸だと思う。ただし、「缶コーヒーの缶を投げることはなぜ芸術でないのか」に至っては映像は正確には「缶コーヒーの缶を【六回】投げることはなぜ芸術ではないのか」だし、「ビニール傘を差すことはなぜ芸術ではないのか」は「ビニール傘を【三回開いたり閉じたりする】ことはなぜ芸術ではないのか」とされるべきではないだろうか。ゲンミツに、芸術ではないのか、と言ってほしい。

たとえばわたしが平間貴大を面白いと思うのは、「半分にする」とか「繰り返しを許さない」といった言葉遣いである。「半分にする」は、「二分の一にする」でも「二分割する」でも言い換えができるし、「繰り返しを許さない」については「排除する」などの言い方のほうがおそらく数学的だろう。が、平間貴大は「半分にする」と言い、「繰り返しを許さない」と言う。この、「やわらかな」表現に向かう言語センスをわたしは支持する。ただし、先日彼の行った方法音楽の演奏と方法詩の朗読において、両者が全く同じであるにもかかわらずまるで違うものであるということを主張しきれなかったのは残念だった。やわらかな言葉遣いでありながら、やることはゲンミツ、というのが平間貴大であってほしい。

たとえばわたしが中ザワヒデキを面白いと思うのは、彼のたぐいまれなるだじゃれのセンスである。わたしはかつて中ザワヒデキと名古屋から横浜までの夜のドライブをしたことがある。車中、尽きることのないだじゃれ攻撃。それは彼のエンターテイナーとしての才能であり、言語へのゲンミツな興味関心のあり方だと思っている。作品も、たぶんゲンミツだ(具体的な作品にふれず、しかも「ゲンミツ」に「たぶん」と付けている時点でかなりゲンミツじゃない。この場合は中ザワヒデキではなく、わたしにゲンミツさが欠けている)。

ということで、どんどんゲンミツさに欠けてきた書き手であるわたしは歌人である。

[新・方法主義者のウェブ作品]

  • 平間貴大

作品
http://hrmtkhr.web.fc2.com/new-method/009_j.html
作品は、作品の作者によって制作される。そしてその作品には作品タイトルが付けられる。ここで、一つの作品には二度、創作の機会が与えられることになる。

  • 馬場省吾

昇順へのソート 第一番「バブルソート
http://7x7whitebell.net/new-method/shogobaba/009_j.html
ある数字の列を一定の関係性になるように並べ替える方法は、コンピュータの世界では「ソート」と呼ばれ、様々なものがある。一つの課題に対してあらゆる方法によって解決がなされ得る場合に、それらの中から最適なものを選択するよりも網羅することに重点を置くことは、方法が目的ということである。今回は「バブルソート」による昇順の提示である。

ソースと実行第五一 - 五五番
http://aloalo.co.jp/nakazawa/newmethod/b09/j.html
HTMLの表では、隣り合うセルを連結して一つにすることができるが、位相的整合性が吟味される。たとえばセル9個を3x3の形状に配置(五一番)したのち、一箇所のみ連結しセル8個とする(五二番)ことはできるが、全箇所を連結しセル1個としてもそれは3x3ではなく、1x1である。3x3の形状は、セル7個(五三番)、6個(五四番)、5個(五五番)までなら保持できる。ちなみに五四番は一三番の、五五番は一二番の部分である。
[お知らせ]

[編集後記]

私は「缶コーヒーの缶を投げることはなぜ芸術ではないのか」がツボです。(参考) 馬場省吾「なぜ芸術ではないのか」 http://7x7whitebell.net/ideogram/why.html (皆藤)
発行人
平間貴大 @qwertyu1357
馬場省吾 @shogobaba
中ザワヒデキ @nakaZAWAHIDEKI
編集人
皆藤将 @kaido1900
機関誌「新・方法」第9号 日本語版
2011年6月4日発行