九二日マラソンのフライングについて
会期は明日から始まるが、前日の今日、さっそく作品を一つ制作しアップロードすることにした。ルールは破られなければいけない。マラソンならば、フライングから始めたい。ということでスタートの銃声が聞こえる前に、私は身の内の声に駆り出されれ走りだしてしまった。
はじめからルールを破ることで、今後の信頼も失ってしまったかもしれない。それについていえば、そもそも所属している(とも思っていないのだが)グループ新・方法では"無作品″という、タイトルだけ作ってあとは何も作らないというようなものも発表している私に、九二日間連続で作品を制作しろとは何事だろうか。九二日間連続で作品を制作した後の事を思うと、それまでの事を思い出して感動の涙がちょちょぎれそうである。
九二日間も連続で何かを制作する。風を切り身体を躍動させるマラソンに比して、制作者をどれだけ長く制作現場に固定し、神経をしびれさせることだろうか。もはやマラソンは関係無いだろう。本当にどこかを走ることでしかマラソンと関係付けられる気がしない。しかし走る気も無いし、あまつさえ私は何も作る気がしないのだ。
九二日間という日数が距離だとするならば、何も作らなくても走り切ることができる。できることなら何もやりたくないが、その通り何もやらなくても時間は過ぎるし、無理やり何かを否定して制作をしなくても自動的に走り切ることはできる。非破壊、非創造の日々を遊び半分でやり過ごすことは、無数にありうる方法の一片でしかない。ならば、誰よりも早く、速く、疾く、駈け出そう。型破りをしようにも、型さえ決まっていない中、いち早くたすきを負って駈け出した私は、型そのものを作り出してしまったのだろうか。どうはみ出すべきなのかは未知数である。秋風が追い立てた熱気を追うかのように、空を切って走り始めた。